「五島・イセエビ漁」

第5回ロケ 2009年9月

 廣山國隆さんは、「潜り」をお祖父さんから習ったそうです。
 お祖父さんは、寒い冬場でも褌一丁で海に潜っていたほどの人で、國隆さんが小学校に上がると、舟(といっても当時のものはエンジンがありません)に乗って、漁場に行ったそうです。
「祖父ちゃんが潜るときに、一緒に潜ったり。自分が櫓を漕いだりして、漁師の勉強になったですばい」
 当時は、風が良いときは、舟は帆を張って進み、風がなければ櫓を漕ぎました。漁を終えての帰りみち、櫓を漕ぐのはほんとうにつらかったそうです。
「昔の人は、えらかですよ」
 お祖父さんは若い頃からいろんな海に潜っては獲物を各地の港に上げていたそうです。おかげで、各地に友だちも多く、五島に漁業の手伝いに来る人たちもたくさんいたそうです。
 國隆さんの覚えている限りでは、沖縄から何十人という海人(うみんちゅ)が、追い込み漁のために五島の海にやってきていました。
 沖縄の海人たちは、鎖を海底にぶつけてガラガラいわせながら、白い布きれをつけた棒で魚を追い込んでいったそうです。
 お祖父さんがその当時使っていた水中眼鏡を見せてくれました。お祖父さん自らが作った金属(ブリキでしょうか?)製のものです。
 眼鏡の下の方には穴があいていて、そこに空気袋を差し込んで、水圧調整をしたのだそうです。もちろんシュノーケルなんてありません。眼鏡一つで20メートル以上の深い所に潜っていたので す。もっと昔は眼鏡なんてなかったので、裸眼で潜りました。ですから、目の病気になったり、ひどい場合は失明したりする漁師がたくさんいたそうです。水中眼鏡の開発で、漁師たちの目も守られ、安全度も漁獲も増えたのです。

吉村喜彦

廣山國隆さん(左)と廣山さんのお祖父さん手製の水中眼鏡(右)
廣山國隆さん(左)と廣山さんのお祖父さん手製の水中眼鏡(右)。
今はプラスチックやウレタン、ゴムを使用したお馴染みのゴーグルとシュノーケル、
ウェットスーツ、手袋、フィンと完全装備で漁をしますが、昔はシュノーケルなしで、
ブリキにガラスがはめ込まれた水中眼鏡だけをつけて潜っていたんですね。
ⓒNobuhiko Yoshimura

綿菓子のような雲が浮かんだ福江島の空
取材は9月の中旬で、まだまだ暑かったのですが、空はもう秋模様でした。
ⓒNobuhiko Yoshimura

船上で打ち合わせ中
手前は水中カメラマンの中川隆さん、白いTシャツを着ているのが
現地コーディネーターの月岡賢治さん。
そして背中を向けているのが征夫さんと是永さん。
甘いムード?いえいえ、撮影アングルの打ち合わせ中です。
ⓒNobuhiko Yoshimura

征夫さん(左)と中川さん(右)
古いつきあいの征夫さん(左)と中川さん(右)。
苦みばしった「男の世界」です。
ⓒNobuhiko Yoshimura

船を操縦する廣山さんを撮影中
お馴染みのツーショット。
船を操縦する廣山さんを撮影中です。
スチールが征夫さん、ムービーが是永さん。
ⓒNobuhiko Yoshimura

高台から五島の島々を撮影中
高台から五島の島々を撮影しています。
この日、是永さん(右)は少しばかり二日酔いでした。
2月の佐渡島「ギンバソウ箱めがね漁」で“酒飲み”デビューした是永さん。
酒飲みとしてめざましい成長を遂げています。
ⓒNobuhiko Yoshimura