水俣に学ぶ、無駄のない知恵

尾崎たまき
水中写真家

人間らしい暮らしをしていきたい、と常々思うのだが、思うだけでなかなか伴っていないのがいまの私の暮らしである。まわりには便利なものがあふれていて、ついつい身を委ねてしまいがちの毎日だ。そうこうしているうち、東京の暮らしも10年が経とうとしている。その間、4回の引越しを重ね、そのたび毎に都心の便利なところに近づいてきてしまっている。結局、人間らしい暮らしより、便利なことへの誘惑に導かれ、気がつくと隣接する建物の一角で暮らしているという状況で、ご近所の顔もほとんど知らない。そんなコミュニケーションの取れていない東京暮らしの合間に、自分のテーマで通い続けている水俣に足を運ぶと、会う人会う人知り合いのような気がしてくるのが不思議だ。私にとってとても居心地のいい場所なのだ。

この土地で出会う人たちの中には、過酷な経験を、身を持ってされている人も多い。それがあるからこそ、人の心の痛みを感じられる人たちが多いのだろう。ここでは、私が想像もできないほどの、病気の苦しみから人々の確執による精神的な苦しみまで、数多くあったという。そして、水俣病という地名からついた病名によって、未だ続く差別。

私は「水俣に潜って水中写真を撮っています」と人に話すと、決まって「水俣の魚は食べられるんですか?」と聞かれてしまう。それが水俣の印象なのだろう。「水俣」という名前から連想されるマイナスイメージは、なかなか消えることがない。

それでも多くの苦難をプラスに考えていこうとする住民は、ゴミの分別も22種類と細かく分け、いまや環境モデル都市として一部では注目さえ浴び始めている。また、漁協では魚が住みやすい環境を作るために、藻場の再生を願って海藻の養殖も始めた。私が水俣に通うのは、たくましく生きる海の生きものたちのみならず、この人たちの前向きな姿勢に、学ばされることが多いからなのだろう。

「日本列島 知恵プロジェクト」でも取材に伺った漁師の杉本さん一家との出会いは、漁を通して人間としてとても大事なことを教わった。チリメン漁、ガンガゼ漁、そしてミカン作りをする杉本家は、無駄なものをが一切ない。チリメン漁のときに、海中を引いた網にはたくさんの海藻がつく。それをそのまま処分するのではなく、ミカン山に肥料としてまき、塩分によって甘さが増すことに利用するという。もちろん無農薬だ。杉本さんのご両親は水俣病認定患者。「毒を食ったもんが、人に毒ば食わせるわけにはいかん」とお母さんの栄子さんは言っていた。

そして最近始めたガンガゼ漁は、海藻を食べてしまうからと、駆除されようとしていた生きものだ。これを無駄に捨ててしまうのはもったいないと、獲って食べてみたら美味だったので食用にしたのだという。

実は、水中の生きものたちの暮らしも無駄なものがない。死んだ生きものさえ、ヒトデや貝がきれいに食べ尽くしてしまうからだ。

なのに人間の世界だけが、無駄なものをたくさん作り、地球にこれでもかというほどの負担をかけ続けている。便利になればなるほど、その無駄なものが増え続けるのだろう。冒頭にも述べたように、私自身も、その便利なものに頼って生きているのだから大きなことは言えないが、それでもできる限り自分ができる無駄を減らしていくことを心がけたいと思っている。

「日本列島 知恵プロジェクト」の根底は、そこにつながる気がする。何もたくさんの油をばらまき遠洋に出て、小魚まで根こそぎ獲ってしまわずとも、目の前の海で獲れるものを獲り過ぎず美味しくいただく。このような素朴な漁を、これからも記録し続けていきたい。

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