#19 三河馬の歴史を今に伝える、「おまんと」 -愛知県高浜市-

#19

文・写真:高草操

2015.12.24

失われし在来馬、「三河馬」の足跡を訪ねて

ある時、人が馬と一緒に走る勇壮な写真が目にとまりました。調べてみると、それは伝統的な馬の祭礼として愛知県高浜市で行われる「おまんと」のパンフレットだったのです。そしてこの祭りに先立ち、高浜市のかわら美術館で開催された「馬、たてまつる」という特別展を訪ね、「おまんと」についてさらに詳しい情報を得ることができました。「おまんと」には40頭もの馬が登場し、しかも人が馬に素手でつかまって走る神事が2日間にわたって行われるというのです。

愛知といえば、かつては三河馬という在来の馬が生産されていた馬産地。三河馬の歴史は古く、長篠の戦(1575年)では、三河の徳川氏が軍用として自国産馬のみを使っていたという記録が残っています。また、祭典の折には毎年良馬を選んで飾り上げ、神馬として社寺に献上することが名誉とされていました。東海道五十三次には池鯉鮒(ちりゅう=現在の知立市)の馬市の賑わいなども描かれており、この地方で馬の生産や育成が盛んだったことを物語っています。今、三河馬はその名を残すだけですが、馬文化や馬産の歴史を継承する「おまんと」にますます興味をそそられ、再び高浜を訪ねました。

「おまんと」のルーツは、雨乞いや豊作祈願の祭り「馬の頭」

愛知県尾張地方や西三河地方(現在の碧南市、刈谷市、安城市、高浜市、知立市)の丘陵部や平野部で広く行われてきた祭りの一つに「馬の頭=塔(うまのとう)」があります。これは雨乞いや豊作を祈願して、神の依り代(よりしろ)となる御幣(神祭用具の一つで、紙または布を切り、細長い木に挟んで垂らしたもの)を背に乗せ、飾り馬具(鈴をつけた鞍「鈴鞍(れいくら)」や花などで飾り付けた馬具)をつけた馬を社寺に奉納するという「飾り馬献納」と、馬場で馬を走らせる「走り馬」の2つの行事による祭礼で、その表記は「ウマノトウ」「オマントウ」「オマント」「献馬」「飾馬」「花馬」と土地によって様々です。

名古屋の熱田神宮では、5月5日に行われる祭礼で、神事に奉仕する者は「頭人」、馬に関わる者は「馬頭人(ばとうにん)」と呼ばれていました。この馬頭人こそが馬の頭の由来になったとも言われ、熱田神宮の馬の頭では、飾り馬を奉納する「本馬(ほんうま)」と、派手な出で立ちの人々が剣祓(けんばらい/剣先の形をしたお札)をつけた裸馬につながれた綱をもって共に走る「俄馬(にわかうま)」が行われていました。特に後者は「熱田の走り馬」として知られ、これが派生し、知多湾岸の各地で独自の発展を遂げたのが「おまんと」だと考えられています。

「おまんと」を継承するために飼われる馬たち

高浜市高浜地区の「おまんと」は「駆け馬」とも呼ばれ、丸太で組んだ円形馬場の中で、疾走する馬に人が跳びつき共に走ります。毎年10月第一土曜日と日曜日の2日間、市内の春日神社(大山緑地)で盛大に行われるこの祭りは、7つ町からなる高浜地区を、春日神社を氏神とする「上(カミ)」と、八剱社(はっけんしゃ)を氏神とする「下(シモ)」に分け、一日目に八剱社、二日目に春日神社の祭礼として行われているのです。

参加する馬は神馬が1頭と、町ごとに駆け馬を行う馬、さらに子供用のポニーなど40頭あまり。そのほとんどが祭のために市内で飼われていて、普段は犬を散歩させるように飼い主が馬を連れて歩く姿が見られるのだと地元の人たちが話してくださいました。かつては、農耕馬として人と共に働いていた馬が走っていましたが、今では競馬を引退したサラブレッドもいて、そのスピードが人気になっているのだそうです。

祭礼参加者は馬目付(壮年)、若衆頭(わかいしゅうかしら/青年)、若衆(少年)、小若衆(小中学生)で、おもに若衆頭や若衆が駆け馬を行います。毎年7月中旬に行われる祭礼余興審議会によっておまんとの開催が正式に決定され、8月中旬には抽選によって神馬を出す神馬町が決まります。神馬町は準備や当日の運営、後片付けまでを取り仕切る役目があり、約1ヶ月をかけて、馬の調達やしめ縄、神馬の御幣、馬につける花飾り、馬つなぎ、馬場作りなどが進められます。そして9月中旬には祭礼余興実施要綱を作成し、各町の承認を得ておまんとが実施されることになります。

春日神社に向かう、40頭と700人の大行列

祭礼前日には、各町の若衆たちが馬と一緒に町内への礼廻りをします。三州瓦の産地でもある高浜市。鬼瓦を随所にあしらった家や道路、そして古民家が残る町並みを、鈴をならしながら馬が歩く光景はとても風情があります。さらに、おまんとには欠かせないという太鼓と笛で演奏される「チャラボコ」とよばれる囃子も町中に響きわたり、祭りのムードが一気に高まっていきます。

迎えた祭礼初日。早朝、高浜市の南にある洲崎公園に全町の参加者と馬が集合し、公園に隣接する津島社において竜宮祭という神事が行われます。海水によるお祓いを受けて人馬が身を清め、海や水、雨をつかさどる竜神に雨乞い祈願をするのです。竜宮祭が終わると一行は春日神社に向けて出発します。神社関係者を含め700人近い参加者と40頭の馬による行列は「デ」と呼ばれ、とても壮大です。1時間以上かけて春日神社に到着すると、参加者は町ごとに張られたテントに、馬は境内に設置された繋ぎ場に落ち着きます。そして時間は午前9時。神馬が馬場を周回すると、いよいよ駆け馬が始まります。 

全力疾走する馬に素手でつかまる「駆け馬」

駆け馬は各町ごとに順番に行われ、馬一頭の持ち時間は3分。若衆による駆け馬や小若衆とポニーによる駆け馬も行われます。円形馬場に放たれた馬が柵にそって全力疾走する姿は迫力満点。スピードはさることながらその逞しさや力強さは想像以上で、馬に素手でつかまろうとする若衆は何度も振り落とされ転げ落ちます。実際、救急車が常に待機し、祭の期間中に怪我をした人はすぐに病院に運ばれます。ところが、ひどい怪我をした若衆も、翌年の駆け馬に再び参加するのだそうです。何がそんなに彼らを駆り立てるのだろう。そう思う反面、この土地の人々に受け継がれてきた馬との繋がりを改めて深く感じる姿でもありました。

一方、走り終わった馬はケロっとしていて、怪我をすることはほとんどないのだそうです。午後5時まで休みなく続いた駆け馬が終わると、参加者は片付けを済ませ、神火を灯した提灯を手に、馬と共に各町に設けられた祭宿に帰っていきます。これを「ヒケ」と呼び、同時に祭礼の幕も引かれるのです。

先輩から後輩へ、町で守り継がれる無形民俗文化財

古くは1803年に雨乞い祈願として馬や獅子が奉納されたという記録が残る高浜おまんと祭りは、2005年に高浜市の無形民俗文化財に指定されました。そして今でも運営費は助成金に加え、市内の個人や企業からの寄付で賄われているのだそうです。このおまんとにかける地元の人々の熱意はとても一言では言い表せません。

高浜の人々の多くは、子供のころから祭りに参加し、馬と触れ合うことから、馬が大好きなのだそうです。たとえ駆け馬で怪我をしても、馬と真っ向から向き合う喜びは何ものにも変えがたいのかもしれません。そんな心意気を生業とした人もいます。JRA(日本中央競馬会)の調教師・内藤繁春氏(故人)は高浜出身。子供のころから見ていたおまんとが馬に関わる原点となり、騎手を経て調教師となり1991年の有馬記念で優勝したダイユウサクをはじめ、多くの名馬を育てました。

おまんとは若者の祭りとも言われ、地元を離れている若い世代も、盆や正月ではなくこの祭のために帰ってくるといいます。そして「おまんとは神事というだけでなく、代々先輩からの教えによって受け継がれてきた行事で、人々の絆を深める大切なよりどころになっている」という言葉通り、かつて駆け馬に参加していた先輩たちが今は裏方としての協力を惜しまず、後輩たちを支える姿が印象的でした。また、神事として女子禁制とされていた馬場も、近年は中学生以下に限って立ち入りが認められるようになりました。毎年、祭りを継続することは決して容易なことばかりではありませんが、時代の流れに合わせ、少しずつ形を変えながら地元の人々の手によって大切に続けられているのです。

そして、人と人の絆や地元の結束を深める祭りの主役が馬であることに、かつて三河馬の産地として栄えたこの土地独特の馬文化が今も生きていることを強く感じました。

高浜市観光協会
http://kankou-takahama.gr.jp

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