#05

文・写真:佐藤秀明

2011.05.16

時代とともに進化する古民家

僕は中ノ俣へ行く度に中ノ俣川に沿って点在する古民家の姿にいつも圧倒される。何百年という出来事が鏡に映し出されたような、すばらしい眺めなのだ。

これらの古民家は、積雪に耐えて江戸時代から、明治、大正、昭和と時を重ねながら、大地と人を見つめて微動だにしなかった。中ノ俣と町とを結ぶ唯一の道に車が通れるようになると、若い人達は次々と新しい世界へ跳び移って行った。ほとんどのものは運ぶことができたが、先祖が担ってきた努力を見つめてたたずむ民家までは運ぶことは出来なかった。だから今も築200年以上の古民家はこの村落で苦虫をかみつぶしたように必死に頑張ってる。僕はそんな家が愛おしくってしかたがない。

人が住み、家族を構成し、農業を営む。そもそも農を生業とする人が住むために作られた中ノ俣の古民家は、時代の生活の変化とともに、改修、改造され機能的な構造になっている。水回りの近代化はもちろんのこと、ほとんどの古民家の茅葺きの屋根にはトタン板がかぶせられている。雪下ろしの必要がなくなり、茅葺きを替える手間も省けるのだ。

自然の曲線を活かした頑強な梁

民家にお邪魔して中を拝見させてもらった。どの家もこの重い建造物を支えているのは根元がカーブを描いている太い梁や柱であることがわかる。中ノ俣の古民家はけやきや杉の木を用いてる家が多い。梁には幼木時代から雪の重みで根元を押し曲げられて育ったため独特の曲線を描いている木を使う。雪の重みに耐えて来た木は強いからだ。都会に住む者にとってこの自然の曲線を活かした梁はたいへん珍しい。

囲炉裏を囲む生活が中心だった時代のなごりで、煙に燻され黒光した柱や梁は、その年代を重ねているだけあって素晴らしい貫禄を見せている。

炎を囲み、人が集い、語り合う

今回お世話になった石川正一さんのお宅では今も囲炉裏が健在である。玄関を入ると広い土間があり、その奥に茶の間がある。昔は茶の間の囲炉裏を利用する時は賓客があるときや目出たいときに限られていた。もちろん今は自由だ。石川さんのお宅のように囲炉裏があるこの家は来客が多く、いつも笑い声が絶えない。この日も入れ替わりお客がやってきては、囲炉裏を囲んでお茶を飲みながらお話をされていた。お話がとぎれるとじっと炎をみつめ、またお話がはじまる。人間が火を好きなのは今も昔も変わらないようだ。囲炉裏にくべられた薪や炭が発する炎は一種の催眠作用があって、じっと見つめていると時間を忘れてトランス状態に陥ってしまうことがあるのではないかと思っている。目がさめてる状態でいちばん夢に近いのが炎を見つめているときだ。しかし煙に巻かれて暮らす必要がなくなった現在、ほとんどの家では囲炉裏に蓋をしてしまった。

屋根裏が伝える囲炉裏のある暮らし

高田市へ抜ける道の端にどっしりと構える橋場一義さんのお宅がある。つい最近まで屋根の一部が茅葺きだった。いつも大きな屋根が気になっていたので屋根裏を拝見させていただいた。土間から屋根裏に上がるといくつかの空間が広がる。土間のすぐ上部には、古い木製のスキーやワラで編まれた靴が置かれ、さらに上がるとちょうど茶の間の上にあたる空間へ。前後には換気用の窓があり、囲炉裏の煙が抜け出るようになっていて、そこには今もワラやススキの束が山のように積み上げられている。梁は釘を使わずにワラやツルで縛って複雑に組み合わされている。僕にはとても不思議な空間だ。

土間は多様に機能する日常の裏舞台

最後に渡辺浩さん宅の土間をみせてもらった。土間はどのお宅でも作業場兼物置として使われている。かつて、馬を土間で飼っていた家も多かった。稲の脱穀も土間で行われるのが普通であった。だから土間の天井には脱穀機を動かす為のシャフトが錆びたまま残されている。忙しかった時代を偲ばせるものだ。今では脱穀が土間で行われることはない。土間にはコンクリートを敷いている家も多い。まあ仕事から帰って汚れを落としたり身だしなみを整えたりする場合は土間はとても便利だ。今も正月や祭りのための餅つきなどは土間で行われている。

地方によっては民家の構造が中ノ俣とは異なると思うので、田舎へ行ったらちょっと覗かせてもらうことにしよう。

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