#04

文・写真:佐藤秀明

2011.04.08

伝統をありのままに伝える西横山地区の子ども達

新潟県上越、桑取谷の小正月の行事は何百年も前から伝わる伝統のある行事である。それだけに人々の行事の保存、伝承の思いはとても強いものがあり、準備も周到に行われる。行事は各家庭の繭玉作りに始まり、1月14日~15日に「鳥追い」「禊(みそぎ)」「嫁祝い」「賽の神(サイノカミ/オーマラ)」とさまざまな行事が行われる。いずれも五穀豊穣、人々の幸せを願ったもので、子どもの果たす役割がとても大きい。

桑取谷には10以上の集落があるものの、年々子どもの数が減っているため、行事の続行が困難になっている。ほとんどの集落で規模を変えたり工夫をこらしながらなんとか続けているというのが現状だ。ところが西横山地区に限って、行事を行えるだけの子どもの数を保っているので、この集落では昔のスタイルのまま小正月の行事が活発に行われている。そんな西横山地区の珍しい小正月の行事の撮影に今年もまた行ってきたので紹介したいと思う。

朱鷺を佐渡へと追い払う「鳥追い」

14日の夜 子ども達による「鳥追い」から始まる。これは田畑を荒らす鳥を追い払うという行事だ。鳥とは朱鷺のことだそうだ。昔はこの辺りには朱鷺がたくさんいたため、田畑を荒らし、大変害を受けたという。
「コーリャどーこの鳥追いだ。ダイロウドンの鳥追いだ。シロオ(しり尾)切ってかしら切って、コンダワラ(小俵)へほうらいこんで佐渡ヶ島へホーホ、こうもりも鳥のニンジョ(仲間)でホーホ~♪」

子ども達の唄が物悲しく雪に閉ざされた集落に流れる。太鼓をたたく頭の子どもを先頭に一列になって集落から桑取川にかかる橋まで歩き、下流に向かって声をはりあげる。海へと続くこの川から鳥を佐渡へと追い払うためと言われるが、本島の最後の朱鷺の生存が佐渡であるのも不思議な話だ。昔は一晩中、年寄りを寝かせないほど子ども達はこの「鳥追い」をしたもんだと、この集落の年寄りが懐かしがって言っていた。子どもたちも次の日には声がかれて出なかったそうだ。

ルヌデの太刀で子宝を願う「嫁祝い」

15日は早朝から男達による「禊」が行われる。午後からは再び子ども達の出番である。ヌルデの枝を削って作った太刀を持って集まった子ども達は夜に行われる「賽の神(オーマラ)」で燃やす焼き草を集めるために家々をまわるのだ。そこでご祝儀をいただくのだが、その分配は年長者が任せられる。続いて「嫁祝い」の行事だ。これは、前の年にお嫁さんが来た家を訪ねる。お嫁さんは子ども達がやって来ると、祝儀やお神酒を載せた盆を両手に持って玄関先に出て行く。すると子ども達がお嫁さんを取り囲み、太刀に見せたヌルデの刀身の方を持って、頭上で太刀をカチャカチャ叩き合わせながら、「男まけ 子まけ 大の大人が十三人 ひとつ祝いましょ もひとつ おまけに祝いましょ~♪」と声を合わせて唱える。この「嫁祝い」の行事はなかなかフォトジェニックだ。しかし、毎年お嫁さんが西横山に来るとは限らない。いない時は他所から来てもらったりと、いろいろ苦労が絶えないのである。

クライマックスは無病息災の祈りを込めて、スルメを焼き、食す

夜、いよいよ行事はクライマックスを迎える。「賽の神(オーマラ)」だ。ここからは大人だけの世界になる。昼間子ども達が集めた焼き草は神主さんの田んぼ(サイノカミダイラ)の3本の芯木にそれぞれ巻き付けられ、大きな塔「賽の神(オーマラ)」へと組み立てられる。その後、男たちはお祓いをうけた種火を松明に振りかざしオーマラの周りを同一方向に回りながら叩き合うのだ。「オーマラ オーマラ」と叫びながら降る雪のなかで叩き合う光景はなかなか凄い光景である。

30分ほど打ち合いが続けられた後で松明はオーマラに投げ入れられワラは盛大に燃え上がる。そこで叩き合いを見物していた人達は持参したスルメをオーマラの火で焼いて食べるのである。サイノカミの火で焼いたスルメや餅を食べると病気をしないと言われているのでみんな一生懸命スルメを焼く。やがて火が消えると行事は終わる。

この小正月の行事は消滅した所を除いて各地区ほぼ共通した形で行われているが、地区独特の行事が残っている所もある。横畑地区の「ウマ(馬)」という田んぼの悪霊をはらう行事だ。男衆や男の子が各戸を回って飛び跳ねるのだがこれもなかなか興味深い。

ここ数年、毎年西横山の小正月行事を撮影しに訪れているが、全く雪のない時もあったけれど、今年のように目も開けていられないほど激しい雪が降る事も珍しい。オーマラを終えた後の余韻に浸る間もなく逃げ帰らなくてはならないほどの雪だった。やはり異常気象のせいなのだろうか。

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