#17

文:吉村喜彦/写真:中村征夫

2011.06.24

昔は冬の休漁期に、漁師たちが自分の家で食べるために採っていた

日本最北の街・稚内。2月の平均気温は摂氏マイナス5.6度になる。その厳寒の海で1月から3月にかけて採られるのがギンナンソウだ。

道内でもやっと知名度が高まりつつあるくらいの海藻なので、内地ではほとんど食べられる機会はない。

稚内で採られるのはアカバギンナンソウといい、スギノリ目スギノリ科に分類される。紫がかった紅色の藻で、北海道全域と東北地方太平洋岸にかけて分布している。ギンナンソウの名前の由来は銀杏(いちょう)の葉に形が似ているからだという。

伊藤栄三(いとう・えいぞう)さん(1957年生まれ、53歳)は生まれも育ちも稚内。秋田出身の祖父がこの海で仕事をはじめて以来の3代目。19歳のときから漁に出ている。

春から秋までコンブやウニ、ミズダコなどをとっているが、11月から3月までの冬の間はほとんど休漁状態。稚内では冬場にそれぞれの漁師が自家消費としてギンナンソウを採っていたそうだが、20年ほど前に「これは売れるんじゃないか。美味しいし」ということで商品化されたという。
「繁茂状態によって2~3日後になることがあるけど、ギンナンソウの解禁は毎年だいたい1月15日。漁の終わりは2月末から3月中旬くらいまで。繁り具合にかかっているんで、その年によって違う。

繁茂の状態? それは色でわかるのさ。ふつう、ギンナンソウは紅い色してるんだけど、だんだん茶色になって、それから黄色になってくる。そうすると終わりの時期だね。2月後半から3月になると、水温が上昇して葉がずんずん大きくなる。身が硬く厚くなってきて胞子が点々とつく。胞子をとばす前に点々がつくんだね。そこまで来るとその年の漁は終り。

おがってる(育っている)のは水深1メートル未満のところ。たぶん1.5メートルくらいまではおがってると思うけどね。手で採るかカッチャギ(熊手)で採るしかないんで、あんまり深い所までは行けない」

味噌汁の具として親しまれてきた

漁協の事務所で伊藤さんから話をうかがいながら、海水で洗った後に少し乾燥させたギンナンソウを一つまみ食べてみた。

しんなりした海藻を鼻に近づけると、プンと磯の香りが立った。

しゃきしゃきしたキクラゲみたいな食感だ。しかも、食べると意外とぬるっとしている。
「地元では買って食べるものじゃなかった。採って食べるものだった。あるいは、漁師からもらって食べるもの。こっちじゃ、ほとんどが味噌汁の具にしたっけ。味噌汁に入れると、色が紅から少うし緑色になる。胞子がつくと、ちょっと食感が変わってザラザラした感じになる。繊細さがなくなるんだね。

小さいときはよく食べてたね。いまはスーパーやコンビニがあって、雪の季節でもいろんな野菜が流通してるけど昔は何(なん)もなかったから、味噌汁に入れるのはジャガイモか大根くらい。いつもそんなのが具だから、たまにギンナンソウを入れたりした。ただね、コンブやワカメは主役を張れるんだけど、ギンナンソウはずーっと脇役なのさ」

ギンナンソウは別名ホトケノミミ(仏の耳)やミミコともいわれる。その形が仏さんの耳にも似ているからだ。

よく育つのは、水深50センチから1メートルくらい

2月11日。午前8時。稚内市宝来(ほうらい)の前浜。気温は摂氏マイナス5度。曇天。水温4度。消波ブロックの向こうに見える波は高さ2メートル余り。白い牙をむいて襲いかかっている。

伊藤さんはドライスーツにニット帽。ドライスーツの下にはジャージやジャンパーを重ね着し、もちろん手には分厚い手袋をはめている。
「昔は上下の合羽を着て、浅い所だけで採っていたんだ。20年ほど前は30名くらいだっけ、採ってたのは。いまは72名。全員男性。60歳代、70歳代の人が主流かな。われわれ50歳代はあんまりいないからね。おれがたより年下になると、機船漁業(沖合底引き)の人が多いのさ。ナマコ桁(けた)引きとかね。

解禁してまだ間のない1月半ばくらいだと、ギンナンソウは消波ブロックの内側に生えているんで、そこから採りはじめる。それをある程度採取してから、こんどは凪のときにテトラの先に出ていって採りだす。

稚内漁港から北船だまりの間の前浜は遠浅になっていて、水深2メートルまでの幅が広い。ギンナンソウは2メートル以上になると、おがらないからね。一番繁殖率が良いのは50センチから1メートルまで。

今日は波も高いから、内側でやろうね」

話してくれる伊藤さんの唇が紫色になっている。ぼくは手袋をはずしてレコーダーとデジカメを操作しているが、寒風で指が思うように動かない。風は冷たいというよりは痛い。沖からは情け容赦なく北風が吹きつのっている。
「やっぱり波が静かでないとギンナンソウは採れない。冬は北西風が一番やっかいなんだ。沖合なら、すぐ5~6メートルの波になる。ここの浜には3メートル以上の波がごーっと押し寄せてくる。消波ブロックを越えてやってくるからね。どんなことしても絶対採れない。3日も4日も採れないからね。おっかないさ」

朝8時から12時まで、氷点下の極寒に耐えながら、藻を手摘みする

浜から下りて20メートルほどのところで伊藤さんはメガホン型の覗き眼鏡でおもむろに海中を見ながら、腰を屈めてギンナンソウを探しはじめた。腰には紐がついていて、タイヤチューブにくくられている。チューブが浮きになり、その空間部分には袋網が備えられている。

浅海の底は少しにゅるっとしていて、いささか歩きにくい。胴長靴を履いて伊藤さんの後ろをついていくと、ときおり粘りのある泥に足を取られたり、思わぬ所にある岩に蹴つまずいたりする。

伊藤さんは手でギンナンソウを摘んでいく。

水中から引き揚げられた海藻は赤紫色にてらてら光りながら、チューブの真ん中にある袋網に入れられる。

ペンギンのようなよちよち歩きで、しばらく伊藤さんについて歩くうちに、深さ50センチの海でも、その冷たさがじんじん膝から脛(すね)にかけて伝わってくる。たった5~6分海に浸かっているだけで、これは並大抵の仕事ではないことがわかる。

少し深い所にくると、伊藤さんはカッチャギ(熊手)を使って、海底のギンナンソウを引っ掻くようにして採っていく。

鈍色の空からはときおり、ひらひらと粉雪が舞い降りていった。

ギンナンソウ採りは、朝8時から12時までと時間が決められている。

100グラムを1袋にパック。25袋で1ケースに梱包され、旭川や札幌、小樽、苫小牧に出荷される。

漁師一人の1日の収穫は50袋(5キロ)まで。浜値は1袋平均300円ほど──ということは、組合の手数料を引くと、漁師1日の売り上げは1万3000~1万4000円になるという。
「仕事のないこの時期にこれだけお金が入るのはありがたい。船の燃料代もいらないし。採ってきた後の処理は母さんと二人でできるしね」

でも、かなり厳しい環境で採っていますよね?
「やっぱ寒いっ。しゃっこい(冷やっこい)よ。なんぼ下に着てても、いくら背中にカイロ貼っててもね。いまの季節(2月初旬から中旬)が一番きつい。波しぶきがかかると、顔に氷柱(つらら)がぶら下がっちゃう。マイナス2度くらいまではそんなに寒さ感じないんだけど、マイナス5度になると、もう手の先とか冷えきっちゃって……。手袋はめてても、水の中に手ぇ突っ込むとどうしても水圧がかかって、中に水が入ってしまう。そうすると、かじかんで、かじかんで……。トイレも近くなるし」

心配なのは、ギンナンソウの繁茂状態が年々落ちてきていること

ギンナンソウ採りの楽しみって何ですか?
「楽しかったことかい(笑)? うーん……。
この前、水温下がったときにクリオネ集まっていたね。いろんな生き物が共存してるのを水ん中で見るのは楽しいね」

少し心配なのは、ギンナンソウの繁茂状態が年々落ちてきていることだと伊藤さんはいう。
「水温が上がってきて、根が育たないんだね。稚内の水質はいいから、温度の問題としか考えられない。南の海藻が増えてきている。

ウニだって、いままでここはエゾバフンウニが主流だったけど、キタムラサキウニが増えてきてるね。昔はバフンウニとムラサキウニの境目がはっきりしていたのが、いまは境目がなくなっている。バフンウニはコンブを食べに浅瀬に来てたけど、ムラサキウニがどんどんその海域に入ってきている。コンブの繁茂率が悪い所も出てきているし。実際、海と接していると、目に見えてわかる。海は正直だから」

シャキシャキからトロトロに変わる食感

その夜、居酒屋でギンナンソウをサラダや天ぷら、味噌汁にして味わったが、やはり一番美味しかったのは、稚内の人たちが昔から食べている味噌汁だった。

最初はシャキシャキした食感のギンナンソウは、時間が経って熱が通ってくると粘り気が出て、おつゆに入れたとろろ昆布のようになってくる。その食感の変化がとても面白かった。海藻界の主役級であるワカメの味噌汁では味わえない。これは初めてのテイストだった。

映画監督・小津安二郎は「映画というのは、じつは力のある脇役が主役なんだよ」という言葉をのこしている。たしかに、中村伸郎や杉村春子なくして小津映画はあり得ない。

音楽ならば、超メジャー=ビートルズにおけるジョージ・ハリソンの役割だろうか。

ギンナンソウはじつにシブイ。

脇役中の脇役。知られざるザ・脇役である。

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