#14

文:吉村喜彦/写真:中村征夫

2010.10.20

雄山の威風と噴火の残香

朝5時。三宅島・三池港は朝日で薔薇色に染まっていた。ぼくらは眠い目をこすりながら、埠頭に下り立った。東京・竹芝桟橋を午後10時30分に出て6時間30分の船旅だ。

島の土を踏んだ途端、茹で卵のような匂いに包まれた。2000年に噴火して以来、いまも微かに流れ出る二酸化硫黄のガスだ。

三宅島は東京から南南西に180キロ離れた、直径9キロのほぼ円形の島である。水深1200メートルの海底から最高峰の雄山(おやま)が聳え立っている。かつては標高814メートルだったが、2000年の噴火で山頂が大規模に陥没。775メートルになったのだそうだ。

島にたった二人の「置き釣り漁」名人

島の最北部に近い湯の浜漁港で、浅沼徳廣(あさむぬ・のりひろ)さん(72歳)と待ち合わせた。浅沼さんは「置き釣り(おきづり)」という、ちょっと変わった漁をしている。
「島ではおれと教育長の二人だけだな。この漁やってんのは」

浅沼さんは村会議員(今年11年目)でもある。2年前までは漁協の専務理事も無報酬で務めていた。
「噴火の後に当時の漁協専務が辞めちゃったんだよ。『この大事なときに、この野郎っ』て腹が立ってさ。それまで何度頼まれても、断っていたんだけど『じゃ、やってやるわ』て結局漁協の仕事を4年半やっちゃった」

一本、筋が通っているのだ。

港を出ると、空は快晴だが、風が強い。波の高さは2メートル。船外機をつけた小さな舟は上下に大きく揺れる。海の色はコバルトブルー。完全に外洋の色だ。

舟を操りながら、浅沼さんが言う。
「夏はこの島は黒潮のど真ん中だ。冬には……黒潮はも……し南にい……けどね」

言葉が風にちぎれる。浅沼さんの間近に寄り添って話を聞く。
「海はすぐにドーンと深くなってんだ。この辺りで4~50メートルかな」

太平洋の中にぽつんと火山が噴き上がってできたのがこの三宅島だ。目の前に神津島(こうづしま)、式根島、新島、そして、うっすらと利島(としま)が見える。みんな、海流の中にひとりで立っている。
「今日は南西の風。この島は風が強い。風速10メートルなんてざらだよ。10月から3月は西風。夏は南西の風。だから島の東側が火山ガスの高密度地区になってんだ」

漁の道具は餌とテグスと大きな石

15分ほどでポイント(大崎海岸の沖)に到着。浅沼さんは冷凍してあったサザエを割って、大きな針に掛けた。針からはテグスが延び、それがグルグルと輪っか状に巻かれ、その先はちょっと大きめの石(重さ5キロほど)に結びつけられている。

浅沼さんは上半身裸でカットオフのジーンズ。他は何もつけていない。水中眼鏡をイソギクの葉でごしごし擦って曇り止めし、石ころと仕掛けを持ってドボンと海に入った。シュノーケルもフィンもウエットスーツも何もなし──きわめてシンプルである。

平泳ぎでグイグイ垂直に潜っていく。水深は7メートルほど。海底には大きな石がごろごろ転がっている。浅沼さんはその石の間に、持ってきた自分の石をそっと置き、側に餌のついた仕掛けも置いた。

やがてハマフエフキがふらりとやってきた。が、なかなか餌の方に寄ってこない。

浅沼さんは何度も海上と海中を往復し、魚が仕掛けに食いつくかどうか様子をうかがっていたが、20分ほどで舟に上がってきた。
「ここ、ちょっと難しいね。置き釣りはハマフエフキだけ獲れるんだ。でも、あいつはものすごく敏感でね、泡が出ていたりすると、なかなか近づいてこないんだよ」

もっと波の静かな所に行こう、と言って、舟を再びスタートさせた。

トコブシ好きのハマフエフキの習性を利用

次のポイントに着くまで、置き釣りの漁法についてもう少し聞いてみた。
「今日は餌にサザエを持ってきてるけど、ハマフエフキはトコブシが好きでね。人が潜ってトコブシを採るときに、石を引っ繰り返して採るでしょ。そのときの音を覚えていて、石の音がすると寄ってくる。いまトコブシは禁漁期間だから、石を引っ繰り返すわけにいかないからね。潜って、海底の石を二つ手にとって、ぶつけて鳴らす。そのカチンカチンて音でおびき寄せるんだ」

ハマフエフキは「石の音=獲物」と学習したわけだ。ところが、人間がその条件反射を逆手にとって騙す──。
「そうそう。魚と人の知恵比べってやつだ」

海底に浅沼さんが持っていく石は何のために?
「テグスは巻いて輪っかにして、輪ゴムで止めてあるんだよ。そのテグスの先に石がある。で、その石を海底の大きな石と石の間に置いておく。魚は餌を食うと、すぐ逃げるから、テグスがギューンと伸びて、急ブレーキがかかる。持っていった石は、魚に引っ張られるけど、大きな石に挟まれているから動かない。魚の力はすごいからね。あのくらいの石ならボンボン持ってっちゃう。魚は口の中に掛かった針をはずそうとして、右に左に体を振って、そこらにある石に頭をぶつけて脳震盪を起こすんだ」

いろいろ試行錯誤を重ねた結果、テグスの長さは10尋(ひろ)(=約15メートル)がいい。長くても短くてもよくない。良い加減というのがこの10尋なのだそうだ。

噴火で一変した島の漁場

いつから浅沼さんは置き釣りを始めたんですか?
「中学3年の時かな。おれ、まだ置き釣りを知らなかった頃、潜ってトコブシ採ってると、必ずハマフエフキが寄ってくるんだよ。で、銛で突いてやろうと思って、銛を持つと、サーッと逃げる。すごい敏感なのね。この話を先輩にすると、フエフキ獲るのに良い漁法があるて教えてくれたのが置き釣りさ。

その頃はトコブシはいつでも採れたからね。浜に行ってトコブシ採って、すぐ置き釣りしたよ。置き釣りは6月から10月いっぱいまでだね。空振りはなし。釣ろうと思ったら5匹でも6匹でも釣れる。

でも、トコブシは2000年の噴火で全滅しちゃってね。岩の下にいるから、火山灰が積もっちゃって呼吸できなくなった。いま、都の補助で稚貝を放流して、ちょっとずつ回復してきたけど、以前ほどじゃないね。

テングサも噴火でやられたよ。三宅島の特産品だったんだけど……。おれはテングサのおかげで進学できたんだ。

高校卒業して、もうちょっと勉強したかったけど、うちが貧乏だったから、1年テングサ採りして金貯めてね。当時、テングサでけっこう儲かったのね。それで、短大に行ったんだ」

「ハマフエフキは"ムニエル"が美味しいよ」

次のポイントは伊ヶ谷(いがや)の漁港の中。港の外は2メートルを越える波だったが、防波堤の中は凪ぎ状態。
「おれ、文明の利器というもの知らないから」 ニコッと笑って、水中眼鏡だけをつけ、ほとんど裸一丁の浅沼さんが海に飛び込んだ。

石の間に仕掛けを置く。最初に置いた所に魚が寄ってこないので、少し経ってから、ちょっと離れた所に置き直した。

水中で浅沼さんが拍子木を打つように石を鳴らす。海底を歩くその姿を見ていると、なんだか、普段は海の中に住んでいるように見える。

と、思ううちに、海の底が濁った。降り積もった火山灰が舞い上がったのだろうか。その土煙の中に何か燦めくものがあった。

ハマフエフキだ! 大きい。

針を咥(くわ)え、テグスが伸びきっている。

浅沼さんがゆっくりと潜って、テグスを取って魚をぐぐっと引き寄せていった。

驚いた。獲れるときには、ほんとうにアッと言う間に獲れるのだ。

「3匹いたんだけど、そんなかで一番小っちゃいやつだよ。3キロ・50センチ。大きいのは7キロ・80センチはあったな……」

ちょっと残念そうな顔をした。

テグスはかなりよじれ、擦れていた。
「テグスは石の下に隠してあって、魚が食うとビューンと引っ張って、ぜんぶ解けるようになってんだよ。魚はテグスが伸びる間に勢いつけて逃げていく。で、スピード上げた途端にバーンと来るんだ。

料理は何がいいかって? ムニエルが美味しいよ。フエフキは」

普通は刺身とか焼き魚とか言うのに、ムニエル──? 今まで漁師からこういうカタカタ調理法はあまり聞いたことがなかった。
「おれ、定年まで船の通信士と事務長、それに衛生責任者をしていたんだよ。32年間で110カ国くらい行ってるんじゃないかな。船員生活は楽しくて、あっという間に終わっちゃった。小学生の頃から海が好きでね。海外に行くには船に乗るのが一番いいなあと思ってさ。世界中、タダで旅行できるからね」

白い歯を見せた。

浅沼さんの物言いはざっくばらんだし、まず結論から先に言ってくれる。話も行動もスピーディーだ。それもこれも海での暮らしと海外でいろんな人に接してきたことに由来するのだろう。

20年ごとに噴火する火山。それも含めて三宅島を愛する

帰りの舟では、波が少し穏やかになったので島の風景を見る余裕があった。それを察した浅沼さんが、舵を握りながら黒い砂浜を指さした。
「溶岩が細かく砕かれるとああいう黒い砂になる。この島はだいたい20年ごとに噴火してるんだ。おれが生まれてから4回。3歳のときの噴火を今でも覚えてる。婆さんの背中に負われて逃げながら振り返ると、山の上が真っ赤になってたよ。

火山はやっかいなことはやっかいなんだけど、それをひっくるめて、この島が好きだって、ここの人はみんな思ってるよ。もちろん、おれもね」

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