#03

文:吉村喜彦/写真:中村征夫

2009.07.20

人口250人の集落に伝わる籠漁

若狭湾に突き出た常神半島に入ると、紫紺色の日本海が見えた。

リアス式海岸に沿った道は右に左にカーブが続く。小さな岬を回り込むたびに道はいったん上りになり、再び村に向かって坂を下りていく。それが幾度か繰り返され、山懐に抱かれた小川集落に着いた。

道のすぐ脇は堤防で、その先は漁港だ。透明な海にはホンダワラがゆらめき、ときおり海猫の声が聞こえる。

穏やかに見えるこの海も、10月半ばを過ぎると風が吹き荒れ、5メートルを超える波が牙を剥いて押し寄せる。波よけのテトラポッドが港の入り口に並べられているが、それでも抑えきれず、堤防を超えて道路に潮がかぶることもたびたびだ。

集落の世帯数は60足らず、人口約250人。釣り場としても有名で、カニやフグ、アワビなど新鮮な魚貝料理を出す宿が軒を連ねる。

西村茂さん(73歳)も民宿「長四郎」を営みながら、漁師を続けている。自分の獲った魚を捌いてお客さんに出すのだ。春は何といってもコウイカ漁※。この辺りでは刺し網で獲るのが一般的だが、西村さんは特別の籠(かご)を使ってコウイカを獲るのだという。

大きな籠は、コウイカの目には"安全な産卵場所"

漁師四代目の西村さんは中学卒業後、定置網の仕事を20年やった。春にはブリやサゴシ、夏にはハマチ、秋にはアジ。昭和30年代にはマグロもたくさん獲れた。大きなものは200キロ、多いときは100本以上も獲れたという。

定置網の次は一本釣りをし、その後、潜り漁を10年やった。水中眼鏡一つ、 ウエットスーツなしで水深18メートルまで潜って、サザエやアワビ、ワカメを採った。そして40歳を超えた頃からカゴ漁に移った。
「テトラの無かった頃はホンダワラが浜近くまでたくさん茂っていましてね。そこにコウイカが卵を産みつけに来ました。

昭和の40年代の頃は、丸いワッサ(金属の輪)にトンガリ帽子みたいな網をつけてね、産卵しているイカの上にそーっと近づいて、網を落として獲りました。産卵してるイカは藻の所でじっとしているんです」

岸壁で昔ながらの籠を作りながら、西村さんが訥訥と語ってくれる。

蒲鉾型をした籠は、長さ140センチ、幅と高さが80センチほど。竹と米松で骨組を作り、底のちょうど真ん中に、麦わらが立てられていた。
「この麦わらのことを軸と言うんですが、この軸が影をつくってくれるんです」

かげ?
「籠にイカが入っても、軸の影に隠れて外敵から見えにくいでしょ?」

確かに、膝を屈めて籠を見ると、3本の軸が絶好の隠れ場所を作りだしている。
「イカは藻と勘違いして、この麦わらに卵を産みつけに来るんですよ」

骨組みの上から網を被せ、籠の左右にイカの入り口(直径8センチ)を作り、外側にも左右2カ所、麦わらを括りつけた。

籠に括り付けられた麦わらが、コウイカを誘い寄せる決め手

「錘をつけて1月に『はめる』(海に入れる)んです。コウイカ漁は2月初旬から4月いっぱいなんですが、同じ籠を他の漁に使うんで、12月まではめてます。麦わらもずっとつけたまま。ただ骨組みの竹や木が腐ってきますんで、年末に新しいものにして、また1月にはめる。1年に1回籠を替えるんです」

所有する籠は全部で40個、そのうちコウイカ用は15個。港を囲む湾に沿って、水深25~30メートルの所に沈められているが、そのポイントはすべて西村さんの頭の中に入っている。
「はめる所は砂地です。コウイカはやわい所が好きなんです。それに、石ころがある所は籠が不安定になりますし」

籠を置いても、イカがなかなか入ってこないときは、場所を移動することもあるという。
「コウイカは3月にならんと籠に入ってこんのです。獲れ始めの頃のイカはちょっと大きくて20センチくらい。で、だんだん小さくなって15センチほどになる」

籠を沈めてからイカが入るまで、どうして2カ月もかかるんですか?
「ある程度、麦わらが海になじまんとあかんのでしょう。コウイカは産卵時期になると、深海から浅瀬に寄ってくるみたいやね。1月頃は水深60メートルの所に卵をつけてますよ。その深さに置いてある蛸壺のロープに卵がついてましたから」

コウイカが多く獲れる条件って何ですか?
「のたくい(暖かい)日がずっと続くと磯に寄ります。春の凪の日やね」

どうして籠の外側にも麦わらをつけるんですか?
「じつは外側の麦わらが決め手なんですよ。イカが、まず、安心する。で、最初は外側の麦わらに産卵する。それから、中にも麦わらがあるのを見て、『やっぱり中の方がもっと安全やで』と籠に入ってくるんです」

籠に入ると、他の魚からは襲われないんですよね?
「いえいえ。アナゴが一番の外敵です。網の目の間からするーっと入って、コウイカを追い回して食べるんです。ズベという白いぬるぬるした液体をでーっと出して、それでイカを包んで殺してしまう。で、食べ終わったら、また網の目をかいくぐって外に出る。こちらは困るけど、ほんまアナゴは賢い魚やね。タイやメバルもイカを食べにきよります」

すべてを収穫せず「籠の中に一杯だけ残しておくんですよ、囮のためにね」

明くる日、籠を引き上げる船に乗せてもらって一緒に海に出た。

港を出て5分あまり。白い浮子がぷかぷか浮いている所で船を止める。籠からのロープがこの浮子に結ばれているのだ。

水深25メートル。海に潜ると、白い砂地の上に昨日と同じ形の籠があった。外の麦わらに、カニ味噌のような色の粒粒がついている。

コウイカの卵だ。カモフラージュのために砂をまぶしているのだ。

籠の中の麦わらにも卵が付いている。外の麦わらよりも産卵密度は高い。そして、籠の中ではコウイカが3杯、えんぺらをひらひらさせながらホバリングしている。眠そうな優しい目をして、水と一体となったような身体が柔らかく動いている。

今日は籠の中には外敵はいない。本能寺で眠りにつく織田信長のようにコウイカは安心しきっているようだ。申し訳ない。こちらは明智光秀なのだ。油断大敵なのである。

船の西村さんがロープを手繰りよせると、籠は月着陸船が月を離れるように海底からフワッと浮き上がった。もう絶体絶命の危機にあるのに、イカの動きは早まることもなく、相変わらずのんびり寛いでいた。

籠からイカを取りだすと、短い脚を開いたり閉じたりしながら、海水をチューッと出した。長嘆息をつくように、大きく甲羅を動かし、半眼になってこちらを見ている。その恨みがましい目が怖い。思わず、視線を逸らしてしまう……。

が、ここで初めて気がついた。3杯入っていたはずのイカなのに、いま船上には2杯しかいない。一体どうしたんだろう?
「籠の中に1杯だけ残しておくんですよ、囮のためにね。雄でも雌でも、とにかく1杯入れておいたら、後から入ってくる率が高い。安心して仲間がやって来るんです。イカは用心深いんです。できれば、雌の方がええねえ。雄が仰山やってきますから」

漁は人と魚との知恵比べだ。どれだけ魚の気持ちに添って考えることができるかどうか。そこに漁の成否はかかっている。

コリコリした歯応え、後を引かないほんのりとした甘さ

民宿「長四郎」の台所で、コウイカを捌いてもらった。

コウイカは別名スミイカと呼ばれるほど、その墨は濃く、量も多い。かつてヨーロッパではこの墨がインクとして使われた。セピア色のセピアとはラテン語でスミイカのことだ。

墨袋を取り、皮を剥き、次いで甲と内臓を取り除いている間中、コウイカは脚を動かし続けている。
「イカの中でこれが一番強いんちゃうかな。ケンサキなんかはあんまり動かへん」

すでに胴は刺身用に造られているのに、脚の動きは止まらず、憮然としたイカの目がこちらを睨みすえている。「海の中でひれをチラチラさせて泳いでる姿はほんまにきれいです。近くに寄るだけで、その音に気づいてシャッと色が変わりますしね」

今も目の回りの色を液晶温度計のように変化させている。
──覚えておけよ。おれをちゃんと食えよ。

コウイカの声が聞こえる。

その眼に恐れおののきつつ、刺身を一口頬張った。

コリコリとした歯応え。肉厚なので少しもちもちしているが、歯切れがいい。 ほんのり甘いが、その甘さが後を引かず、爽やかな香りだけが残った。

食べているうちに、イカの目の回りがほんのり赤くなっていった。下足を食べようとしたら、小さく並んだ吸盤がクッと吸い付いて離れない。
──わかってるだろうな。おれの命をやったんだからな。

半眼のイカが再びドスを利かせた。
──わ、わかっています。ありがとうございます。あなたの分もしっかり生きますから。

心の中で祈るようにして呟いた。
「イカは目玉以外みんな食べられるんです」

西村さんがふんわり言った。

透明に近いイカの肉を食べながら、その言葉が、心にねっとり張りついて離れなかった。

※若狭では、伝統的に「コウイカ」を「モンコイカ」、その漁法を「もんこ籠漁」と呼ぶことがあります。

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