第2回 染織家 志村ふくみ 「生命のうまれる小宇宙」

藍は子供と同じ
「志村さんの色の世界観・宇宙観を表現するとしたら何染めを取材させて頂くのがいいでしょうか?」と相談させて頂くと、色々と考えて下さった後に「やはり藍かもしれませんね」とおっしゃりました。
藍建てというのは本当に難しく、失敗の連続で、絶望して寝込んでしまったこともあるそうです。その時に、藍は生き物だから、子どもをひとりもったつもりで小屋を立てなさい、そしてひそやかにやりなさい、これは芸なんですよ、というアドバイスを先生から頂いたそうです。
他の染料みたいに釜で焚くのではなく1つの芸なのだから、守ること、染める事をしっかり芸として身につけなければいけない。びっくりして、心を入れ替えなければと思
って、藍神さまを祀ってお祈りしたそうです。
その後、志村さんが東京に行かなければならなくなり、藍から気持ちが離れてしまったときのこと。藍瓶の中に咲いていた藍の華がバラバラとまるで細胞が急に散ってしま
ったかのように崩れていってしまったそうです。これは大変だと思い留守をしてくれる人に面倒を頼み、東京にいる間もずっと藍のことを気にかけ、とにかく用事だけすませてすぐに藍のもとに戻ると、藍はもとのように元気になっていったと言います。
「本当に藍は子供と一緒で気持ちを注げば「かよう」ということがあるのですね。心をよそにやらずに一生懸命守っていこうとすると通じるのだと感じた時に「こどもを持つのと同じ、と言われた意味がわかりました」とお話になっていました。

藍という名の美しき生命
藍を染色出来る様な状態にまで仕込むことを「藍建て」といいます。藍の葉を発酵・乾燥させた「すくも」と呼ばれるものに酒、麸(ふすま)、石灰などを足し、さらに発色を促すために発酵させるのですが、そこには沢山の菌がいて、ぶくぶくと藍の華を咲かせていくのです。瓶の中はまさに、生命を誕生させる小宇宙。
実はこの藍建て、志村さんの工房では新月の日に行なわれます。畑でも新月に種を蒔くとよく育つといいますが、藍も同じで新月に仕込むと満月までの間に生命がぶくぶくと芽生えてよく育つそうです。
「ある時、月夜の晩に藍瓶を見たらただならぬ美しさだったんです。これは何かあるに違いないと思って、翌朝それで染めたら、空が落ちて来た様な美しさでした。月の影響ですね。だから月が満ちたりひいたりするその関係が藍には非常に大切だということに気づいたんです」
建ち上がった藍の瓶に糸を入れて染め上げる志村さんの手もとは、途切れることなく全てが一つになっていて、その気の流れの中で藍の“精”を糸に移しているかのようでした。おそらく藍の精たちも知らず知らずのうちに糸に移されてしまったのでしょう。それが引き上げられ空気に触れた時には、まるで光の粒子がはらはらと変化するかのようにエメラルドグリーンから藍色へと変化していきました。その様子があまりにも神秘的だったのでそう志村さんに伝えると「あれは現世に誕生してきた瞬間なんじゃないかと思うんです。だから子どもが出てきたときはみどりごなんですね。それが瞬間に赤子に変わっていくんです。どうして、みどりごっていうのかなと思っていたんですけど、それは一番闇に深い青と光から出てくる黄色とがこの

世に合体したときに出てくる緑。だからみどりご。生命の誕生。そこに結びついてくるんですよね。色でそれをちゃんと示しているというのがすごいですね。だから日本人は何も原理とか難しいことを言わないですけど、わかっているんじゃないですかね」とお話下さいました。

藍にみる日本人の佇まい
 艶やかな色で染め上がる満月の日の藍。この輝くような藍で染め上げた藍色を縹色(はなだいろ)というそうです。そして、日が経つごとに藍の精は艶やかさを失っていき、藍の色も落ち着きを見せてくる。それでも、そこには凛とした佇まいで存在する藍の姿があり、志村さんは様々な藍色を著書「色と糸と織りと」(志村ふくみ/井上隆雄 岩波書店)の中で人の一生に例えて表現しています。
「縹色(はなだいろ)の輝く日々、それは少年期から青年期であろうか。ひと汐ごとに縹の精気がうすれて藍の色の落ち着きを見せる時期、内面的で精神の安定を感じさせる日々、壮年期とでも言おうか。日本の藍がもっとも日本的に沈潜の美しさを感じさせる。四季でいえば秋のなかばから終わりにかけてであろうか。やがて藍に晩年が訪れる。」
 この晩年期に現れるのが「瓶のぞき」といわれる藍色だそうです。染め上げた時にはうす茶色なのに水に晒すと、かすかに色が浮かび上がってくる。最期まで美しさを忘れず、ひかえめではあるけれど、その中に確かな存在感を残していく。これこそが日本の美であり、日本人のしなやかな佇まいなのだと思いました。