伊勢神宮の神職である吉川さんに「衣を纏うとはどういうことだと思われますか?」とお聞きすると
「人は魂と肉体からなりたっています。いわば肉体は魂の器ともいえます。そして、それらを包み込んで保護するものが衣ではないでしょうか」とお話して下さいました。
 今回取材させて頂いたお祭りでもそうですが、神事にはよく絹や麻の衣が使われます。以前取材させて頂いた西表島の豊年祭の時もそうでした。神事を行なうツカサと呼ばれる女性は、この世とあの世を繋ぐ役割を持つ麻の衣を纏っていました。
 「昔は、胎児が生まれる時、お母さんとお子さんのへその緒を麻紐で切ったんです。それから、米は連作できますが、野菜は種類によってはあまり連作できません。土地が痩せてしまうからでしょうね。けれども、そこに麻を一面に植えると土が活性化して次からまた収穫が見込めるともいわれています。麻にはそのような効用があるのかもしれないですね」と麻についてもお話して下さいました。

 麻はお参りする人や特定の場所などを祓う御幣(ごへい)として、また聖域を囲む結界のためにも使われています。そして、「古事記」の中の「天照大神の天岩戸隠れ」というお話にそのルーツを見ることもできるのです。ある日、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原の秩序を乱したために天照大神は、天岩戸にお隠れになってしまいます。天照大神は太陽にもたとえられる神さまですから、世界から光が消えてしまいました。困った神々は、天照大神のご出現を仰ぐため、岩戸の前で祝詞を唱えたり、舞を舞ったりと、お祭りをしました。その中でも重要な役割をになった神に、天太玉命(あまのふとだまのみこと)がいました。天太玉命は、そのお祭りのために、天香具山の榊を根ごとに引っ張ってこられて、その枝の先に八尺勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたかがみ)、白和弊(しらにぎて)、青和弊(あおにぎて)を綺麗に飾り付けられ御幣として捧げ持たれます。その時の白和弊・青和弊が楮(こうぞ)や麻と考えられています。晒し方によって楮や麻は白色・青色になるそうです。そして、天照大神が岩戸からご出現なされた後、もう二度とそこには戻れないようにと注連縄(しめなわ)が張られましたが、それに使われたのも楮や麻と推測されています。

 絹もまた、神さまのお召し物だけでなく、神社の装飾などにも用いられています。御神座とその周りを囲む御壁代(おかべしろ)や御(み)とばりと呼ばれる布には、全て絹が用いられているのです。両機殿神社の八尋殿にかかる御とばりも絹でした。そして、遷宮のクライマックス・遷御の儀(せんぎょのぎ)でも、ご神体は絹垣(きんがい)と呼ばれる絹のカーテンで囲われて旧い宮から新しい宮へとうつられます。
 神御衣祭にお供えする四丈(十二メートル)の和妙(にぎたえ=絹布)を織るのに使われている絹糸は「赤引きの糸」と呼ばれ、古くから愛知県三河地方などで生産されているものです。「赤」にはありのままの心を意味する「赤心」とか「明るく清浄な糸」という意味があるそうです。「神御衣奉職始祭」の行なわれた五月初め、機殿神社では、柔らかな光を浴びた森の木々が新緑をつけて風に揺られていました。そして、そのリズムにあわせるかのように機織りの音がカッタン・コットンと鎮守の森に響き渡っていました。まるで、その一角だけが、高天原であるかのように。